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小西博之と清水由貴子 欽ちゃんファミリー 因縁の2人 [有名人 カ行]

元欽ちゃんファミリーの清水由貴子氏が

自殺により他界して早6年。

今日放送の「爆報!THEフライデー」にて

小西博之氏が清水由貴子のお墓の前で

涙の懺悔をする事が予告されています。

小西博之と清水由貴子の間には、

どんな因縁があるのでしょうか。


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小西博之 末期ガン、泥沼の離婚・・・ 壮絶な人生




小西博之氏は、俳優として数多くのドラマ・

映画に出演し、「欽ちゃんファミリー」の

一員としても活躍しました。


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(出典:株式会社 スタークコーポレーション


1989年に結婚して、2人の息子さんにも

恵まれましたが、その10年後には別居。

2006年に離婚が成立しました。


離婚の原因は小西博之の女性問題だった

ようですが、離婚調停の末、2人の子供

には今後会えないという、

辛い結果となってしまいました。


離婚が成立する前には、さらに追い打ちを

かけるような出来事が襲います。

2004年の夏ごろから血尿が出るようになり、

年末に精密検査したところ、全身に転移する

恐れのある腎臓ガンが発見されました。


しかも、余命3ヶ月の末期ガンという

最悪の状態。。


意を決して、翌年の2005年2月にリンパを

切除するなどの大手術を行い、

無事成功しました。

それからのリハビリが大変で、手術後の

闘病生活というのは想像を絶するもの

だったと思います。


しかし学生時代の野球部で培われた

「精神力」で、見事に末期ガンを

克服しました。


その野球部で培った精神というのが、


「『試合に勝つ』が目標じゃなく、勝った後、学校に戻ってみんなで大喜びしている姿を想像しろ、 『がんに勝つ』を目標にするのではなく、克服した後の楽しい生活を想像するのだ」



というものです。その教えに従い、

見事末期ガンから生還したんですね。


現在は仕事を行えるまで回復しており、

東京サイクリング協会主催の

「東京シティサイクリング」にも毎年ゲスト

として参加しているほどだそうです。

また闘病生活の経験を活かして、闘病経験を

語る講演活動を各地で行っています。

離婚した時付き合っていた女性とその後再婚

しており、2人の間には娘が居るそうです。


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清水由貴子の自殺で小西博之の思いは・・・




そんな小西博之氏は、かつて

欽ちゃんファミリーの一員として、

清水由貴子氏と一緒にテレビに出演したり

デュエットCDを出したりしており、

良き相棒とも言える関係でした。


しかし2009年4月21日、

清水由貴子 突然の自殺―――


その相棒の突然の訃報というのは、

小西氏には衝撃的なものだったでしょう。


特に、過去番組で「銀座の雨の物語」を

一緒にデュエットした時の、

彼女に対する思い入れは深いそうです。

訃報を聞いた後のインタビューでは、

その様子を伺えるエピソードを語っています。


同曲のイベントで1度だけ飛行機に

間に合わず、小西氏が3時間遅れて現場に

到着したことがあったそうです。


「怒られると思ったら、ニコーって笑っていて。『なんで笑ってるの?』って聞いたら、『3時間もワンマンショーができました』って…」


そんな優しい清水に小西はしばしば怒られて

いて、当時イベント前にサインを2000枚

ほど用意するのが常だったが、


「忙しくてサボっていたことがあって、その度ユッコちゃんに『すべてはお客さんのためでしょ!』って、母親のように怒られました」


人のために生き、夢や勇気を与えてきた。

そんな彼女だからこそ

「自殺で死ぬなんて、僕は一生かかってもユッコちゃんを許さない」


と語っています。


末期がんを克服し、講演などで命の大切さを訴えている小西氏は、

「何か方法があったはず。お母さんの介護を頑張って、多くの人の支えになってきた。だからこそユッコちゃんは死んだらアカンって…」


「冥福なんか祈らない。天国なんかに行かせない。僕が引き戻してやる!」


と号泣して答えています。


やはり相棒ともいえる親交の深い仲だった

だけに、突然の死というのは受け入れ難い

ものがあったと思います。


自殺の原因ですが、重篤な母親の介護疲れ

から「うつ」になったため、と言われて

ますが、本当のところはわかっていません。


実妹によれば、この時点での母親の容態は

少なくとも報道されたときのような深刻な

状態ではなかったといいます。


清水氏は母親の介護に専念するために、

2007年9月から芸能界から完全に引退

しています。


妹は、目標に向けて突っ走る性格の姉が、

仕事を辞めることで気持ちのハリを失う

ことの方を心配して、芸能活動の引退には

内心反対だったそうです。しかし人一倍

責任感が強い姉の決意を見て、

「仕事を続けて欲しい」ということを

言い出せなかったと語っています。


欽ちゃんファミリーの長である萩本欽一氏は

亡くなる前年10月に20数年ぶりの手紙を

もらっていたことを明かしています。


「最後に『これからも頑張るからね』と書いてあったけど、何かの叫びだったのかなぁ」と、何もしてあげられなかったことを悔やみ、「ユッコちゃんは“いい子”にくたびれたのかな。だけど、最後はちょっと悪い子だったな。もうちょっと頑張ってほしかった」


と涙ぐみながらコメントしています。
(出典:Wikipedia


家族にも、旧知の仲間にも、

欽ちゃんファミリーにも打ち明けることなく

一人心に抱え込んだまま、自殺を選んで

しまいました。






自殺を選んだ清水由貴子氏に対する

小西博之氏の思いというのは、

本人にしかわかりませんが、

どんな事情があるにせよ、清水氏が

あっさり死を選んでしまったこと。

それがまず許せなかったのでは

ないでしょうか。


小西氏は、末期ガンという死に切迫した状況

で、全身全霊で闘って、見事これを克服し

生還しました。

それ故に自殺という行為が、闘わずに

逃げること、命を投げ出すことに思えて

仕方なかったんじゃないかと。

本人にしたら「なぜ闘わなかったんだ…」

という思いが込み上げてくるでしょう。

そして、何もしてやれなかったことに

悔やんでいるかもしれません。

勝手な推測ですが、そんな風に感じました。

今日放送の「爆報!THEフライデー」で、

そのあたりの事情が明らかになるかも

しれません。


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